救済事業の歴史 その4

捨て子や孤児が多くなったため、政府は1871年(明治4年)、養育米支給の規則を定めました。

続いて、1874(明治7)年に「恤救(じゅっきゅう)規則」を制定しました。恤救とは「あわれみ救うこと」を意味し、「人民相互の情誼(じょうぎ)に因って」つまり、親族や地縁などの人情的な関わりによる救済を基本に置き、その対象をどこにも身寄りがなく保護を受けられない無告の窮民に限定していました。

無告の窮民とは、極貧の独身者、労働ができない重病人や70歳以上の高齢者、疾病者や障害のある者、13歳以下の孤児をいいます。

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救済事業の歴史 その3

江戸時代に入ると、親族間による相互扶助や近隣の地域による隣保扶助、近隣5軒を1組として助け合う五人組制度などの救済活動が行われるようになりました。

都会の方には馴染が薄いかもしれませんが、地方では五人組制度や隣組は今でも残っている地域が結構あるんですヨ。

では、明治時代にうつります。

明治政府は、江戸時代からの貧困者も含め、新たに体制の変革で生じた貧困者や無職となった武士層をもかかえこむことになりました。

詳しくは次のブログで見ていきたいと思います。

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救済事業の歴史 その2

奈良時代に入り、718年に「戸令(こりょう)」が制定されていました。

「戸令」では、救済の対象になるものは、鰥(かん、61歳以上で妻のない者)、寡(か、50歳以上で夫のない者)、弧(こ、16歳以下で父親のない者)、独(どく、61歳以上で身寄りのない者)、貧窮(びんぐ、貧しく生活に苦しむ者)、老(ろう、66歳以上の者)、疾(しち、疾病、障害のある者)となっていました。

また、凶作や災害などのために、倉庫に穀物を貯蔵しておく備荒制度も設けられました。

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救済事業の歴史

子どもが虐待されて亡くなったり、貧困に苦しんでいたりと悲しいニュースを聞かない日はありませんよね。

今回は我が国の社会福祉の歴史についてみていきましょう。

我が国における救済事業のはじまりは、聖徳太子の時代からだと言われています。

593年に、聖徳太子が仏教の慈悲思想によって、孤児や、貧窮者、病人のための救済事業として四天王寺に施薬院、療病院、悲田院、さらに救済施設ではありませんが、古代の仏教的教化事業を目標とした敬田院からなる四箇院を設立したと言われています。

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食事のときの困った その3

今日は全然食べないなという日ってありませんか?

食欲不振だったりむら食べがあると心配になりますよね。

今回は食欲不振(むら食べ)の原因と対応についてみていきましょう。

原因・・・子供の食事は、その日の子供の体調や気分によって、昨日はきちんと食べたのに、今日は食べないというような、むらがみられることがあります。大人であっても、食事の直前にけんかをしたり、何か悲しいことがあったりすると食事が進まないことがあります。まだ精神面で十分に成長していない子供では、なおさら自分の気持ちをコントロールできず、食事をすることもできあにというような状態になります。

対応・・・食事は楽しい雰囲気で食べられるように配慮することが大切です。また、体調の変化にも十分に注意することが必要です。

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